悪い事が続くとトンネルは抜けられる!因果応報の全て
因果応報は本当にあるのか?
長期的に見ると「因果応報」はあるのかもしれません
あなたは因果応報を信じますか?
それとも信じないですか?
世の中には色んな人がいるので、信じる人もいるでしょうし信じない人もいることでしょう。
辞書によると、
「人はよい行いをすればよい報いがあり、悪い行いをすれば悪い報いがあるということ。現在では悪いほうに用いられることが多い。」
因果応報というのは、仏教用語らしいのですが、他にも「カルマ」という別な言い方をすることもありますね。
因果応報が本当なのであれば、
よい結果を得る為には、よい行いをして
悪い結果を得る為には、悪い行いをする。
という事になりますね。
でも、ほとんどの人は「良い結果」を欲しがっているのですから、良い行いをしようと努めるかもしれません。
運の悪い人は、こう言うかもしれません。
「自分は、人の道を外れることなく、普通に暮らしてきたのに、全然良い事が起こらない」と、
そして、こうも言うかもしれません。
「裏で色々悪い事をしている人達は、何事もなくのうのうと生きている」と。
確かに、その人の行いがストレートに結果に結びつくというのは、意外と少なく見えるかもしれません。
しかし、“長期的”に見ると、必ずその人の最後というのは、その人の行いの集大成であるという事が言えます。
大きな罪を犯せば、刑務所行きという因果応報がある
それでは、
「良い行い」
「悪い行い」
というのは、どういった事を指すのでしょうか。
「良い行い」というのは、人が喜ぶような行為をすることですね。
逆に「悪い行い」というのは、人が嫌がるような行為をすることです。
例えば、「良い行い」というのは、
人の仕事を手伝ったり、
電車で席を譲ったり
道端にあるゴミを拾ったり、
家族の誕生日にプレゼントをあげたり、
人の助けになる事や人が喜ぶことをするのが、良い行いとなりますね。
一方「悪い行い」というのは、
人の物を盗んだり、
人の悪口を言ったり、
人に暴力を振るったり、
人を騙したり、
人の嫌がることをするのが、悪い行いとなりますね。
人を殺したり、人の物を盗んだり、人に暴力を振るったりすれば、たいがいは警察のお世話になるので、その人の人生が崩壊していくというのは、ある程度想像できることかと思います。
しかし、この世の中で本当に手の負えない人達というのは、警察に捕まる一歩手前のことを平気ですることかもしれません。
他人に対して暴言を吐いたり、悪口を言っても、警察に捕まることはまずないですね。
警察に捕まるような悪い事をすれば、刑務所でその分服役しなければならないので、なんとなく「因果応報」というのがあるというのはわかりますね。
しかし、グレーゾーン(警察に捕まる一歩手前)で、色々悪さをする人は世の中にはいっぱいいます。
果たしてこういう人達は、「因果応報」となるのでしょうか。
因果応報が必ず起こる時とは?
因果応報に疑問を感じるのは当然
悪い事をした人には、必ずその報いがあるというのが「因果応報」ですね。
例えば、人を殺して捕まれば、刑務所で服役することになるので「因果応報」が適用されます。
しかし、何の罪もない人を殺して、10年20年で刑務所から出てきたら、果たして本当に「因果応報」が適用されたのかは、微妙なところです。
やはり、人を殺したら、命で償うというのが、本当の意味で公平な「因果応報」になるのではないでしょうか。
「因果応報」といっても、やはり曖昧な部分が多々残っているのが現状なのかもしれません。
しかし、「因果応報」について、疑問符を投げかけたくなるような人たちが存在していることは事実です。
前回取り上げたように、グレーゾーン(警察に捕まる一歩手前)の人達というのは、すぐに「因果応報」が現れるわけではないので、本当に「因果応報」があるのかどうか疑問に感じてしまう人も多いことでしょう。
悪い事をたくさんして・・・、でも警察に捕まるほどの事でもないので、周りから見たら何事もなくのうのうと暮らしているようにみえます。
悪い事をしているのにのうのうと暮らしている人を見ると、「良い行い」をしている自分がバカらしくなってきますね。
悪い事をした人達には、きちんとその報いが起こるような世の中であってほしいですね。
例えば、会社で人の悪口を言うのが好きな人がいたとします。
あなたもその人にいつも悪口を言われ、嫌な思いをしたとします。
でも、こんな事で警察に行っても、相手にしてくれませんね。
あなたはどちらかと言うと気の弱いタイプなので、言い返すこともできませんし、上司に報告することもできません。
何故なら、人の悪口を言うのが好きなその人は、上司と仲がいいからです。
案外、人に嫌われる人というのは、交友関係が広かったりして、仲間がたくさんいる場合が多いです。
ですから、なおさらやっかいなですね。
因果応報も運も感情が大事
悪口を言われ続けると、心が疲弊してきますね。
会社の上司にパワハラを受けて、鬱になったという人は、たくさんいます。
この現実だけを見ても、
パワハラをした人は、その後も元気よく仕事を続け、
パワハラを受けて嫌な思いをした人は、鬱になり仕事を休みがちになり、
「因果応報」なんて嘘っぱちと思われるかもしれません。
しかし、「因果応報」というのは、やはり「運」と同じで、“感情”がとても重要になってきます。
苦しい、悲しい、辛い・・・といったマイナス感情を心の中にずっと溜め込んでいると、その人はずっと鬱状態から抜け出せなくなるかもしれません。
上司のことを憎む気持ちも、だんだんと強くなってくるかもしれません。
結局、パワハラを受けたあなたは、仕事を辞めて転職したとします。
転職先では、上司や同僚にも恵まれ、とても居心地のいい職場となりました。
仕事も自分のやりたいことができて、毎日イキイキしています。
そんな時「あの時、上司に嫌なことを言われたからこそ、転職する決断ができたんだから、本当に上司には感謝しなきゃ」と思ったとしましょう。
実は、この時に「因果応報」が発動するのです。
あなたには、良い報いが現れ。
上司には、悪い報いが現れるようになるのです。
良い行いというのは、
人の仕事を手伝ったり、
電車で席を譲ったり、
道端に落ちているゴミを拾ったり
という事でしたね。
でも、本当に良い行いというのは、そのレベルではないのです。
「因果応報」が起こるレベルというのは、ゴミを拾う程度では、大きな変化はあまり望めません。
目に見える因果応報は心の痛みがあってこそ
許すことで「因果応報」が発動する
「因果応報」が発動するには、レベルがあるという事を書きました。
例えば、道端でゴミを拾ったとします。
これは、良い行いですね。
あなたのゴミを拾うという行為が、街の美化に一役買っていることになります。
街が綺麗になれば、その地域で住んでいる人は皆、気持ちよく過ごすことができます。
ですから、あなたの行為は、周りの人を喜ばすことに繋がっています。
それでは、道端でゴミを拾ったあなたには、すぐに「因果応報」が現れるのでしょうか。
また逆に、道端でゴミを捨てた人には、すぐに「因果応報」が現れるのでしようか。
ゴミを拾う人と、
ゴミを捨てる人。
どちらが良い行いで、どちらが悪い行いなのかは、明白ですね。
道端に落ちている空き缶を一つ拾いました。
道端に空き缶を一つ捨てました。
道端に落ちている空き缶のせいで、不愉快になったり迷惑を被ったり実害があったりすれば、「因果応報」は発動するでしょう。
ですから、空き缶を一つ拾うことによって、不愉快になる人を少なくしたり実害を少なくすることができれば、「因果応報」は発動します。
でも、空き缶一つだと、微妙ですね。
目に見える「因果応報」というのは、難しいかもしれません。
良い行いというのは、ゴミを拾うという事以外にも、たくさんあります。
その中でも、かなりレベルの高い「良い行い」があります。
それが、前回書いた、「上司に対して感謝し、許す」という行為です。
「許す」というのは、「良い行い」の中でも、トップレベルに位置しています。
当然のことながら、「因果応報」は直ぐに発動します。
そして、相手にもそれ相応の「因果応報」があります。
毎日ゴミを捨てる人には「因果応報」がある
トップレベルの「良い行い」の一つである「許し」について書きました。
「許す」という行為と、
「ゴミを一つ拾う」という行為では、
良い行いのレベルが格段に違ってきます。
例えば、道端に落ちているゴミを拾うのに、大きな「心の痛み」や「屈辱」を感じる人はいるでしょうか。
ゴミを一つ拾うくらいでは、精神的苦痛を感じる人はあまりいないと思います。
しかし、暴言を吐く上司に対して、「許す」という行為は、とても大きな「心の痛み」を伴います。
その「大きな心の痛み」を感じているからこそ、その「痛み」を解き放つことによって、「因果応報」が発動するのです。
ゴミを一つ拾うというのは、とても小さな行為ですが、それが毎日毎日続けば、一年間では365個という数になるのでそれなりの「因果応報」は発動するはずです。
また毎日毎日ゴミを捨てる人も、一年間で365個という数になるので、「因果応報」が起こることが予想されます。
365個のゴミが全て拾われてしまったら、必ずその人には「悪い報い」が訪れるようになります。
ですから、「拾う人」がいてこそ、「因果応報」が発動されるのです。
ただし、「拾った」ことを他人に話してしまうと、「因果応報」が発動されることはありません。
何故なら、「拾った」ことを他人に話してしまった時点で、「拾った人」に対して”褒められる”という「因果応報」が発動されてしまうからです。
これについては、「陰徳」の記事を参照してみて下さい(「神様は全てお見通し!運が悪い人と運が良い人の違い」)
「拾う人」がいるからこそ、「捨てた人」には悪い報いが訪れるのです。
それと同じで、悪い事をした人に対しては、それを「許す」という行為で対処できた人がいる場合に、「因果応報」が発動するのです。
片方(良い行いor悪い行い)だけでは、「因果応報」は発動されないということですね。
因果応報は、突然何の前触れもなく訪れる
不運が続いた時は、それを受け入れる
悪い事が続いてしまうと、どうしても不安な気持ちになりますね。
焦ったり不安になったりして、神社でお祓いや厄除けをしてもらう人もいるかもしれません。
それだけ、当人にとっては、不運が続くというのは、先の見えないトンネルの中を歩いているようなものなのかもしれません。
今あなたの身に悪い事が起こっているのは、カルマの消化なのか? それとも別の要因なのか?
「因果応報」というのは、カルマという呼び方をすることもあります。
もし、あなたが大量のゴミをどこかに無断で捨てたとします。
大量に捨てたゴミは10年間も、ずっと放置されたままでした。
しかし、そのゴミはある人によって綺麗に片づけられました。
この時点で、大量にゴミを捨てた人には、「因果応報」が発動します。
これがいわゆる“カルマ”です。
突然、不運が訪れてくるので、大量にゴミを捨てた人は、何が原因なのかさっぱりわかりません。
そして、大量にゴミを捨てた人は、その不運から逃げずに受け入れたとします。
その不運を受け入れて暫くすると、カルマが消化されて、また普通の生活に戻ることができます。
ですから、悪い事が続いている場合は、先の見えない未来に対して不安になってしまいますが、何も心配することはありません。
その不運を受け入れてしまえば、必ず暗いトンネルから抜けられます。
運気が低迷したままの人というのは、その不運から必死に逃れようとして、“カルマの消化”を先延ばしにしてまっている為です。
先延ばしにしている限り、あなたの人生はずっと暗いトンネルの中にいる事になるのです。
散歩中の犬のフンを後始末しないと、どうなる?
「因果応報」がすぐに発動することはあります。
とっても悪い行いですし、それをやってしまうと、ずっと運気が停滞したままになります。
一度、40代の女性からこんな相談がありました。
「主人は運が悪いんです。自分で商売をしているのですが、収入が少なく毎月赤字です。」
という事です。
しかし、私の著書『なぜトイレの蓋をするだけでお金持になれるのか』を読んでから、収入が増えて赤字から脱出できたのです。
熱心にトイレ掃除をしたわけではありません。
トイレ掃除をしたわけではないのに、何故収入が増えたのでしょうか?
それは悪い行いをやめたからです。
著書の中では「散歩中の犬のフンを放置すると、運が悪くなる」と書いています。
その男性は、この行為をやめました。
どんなに一生懸命、家のトイレ掃除をしても、外で犬のフンを放置したままだと、運が悪いままです。
「因果応報」は、なかなか直ぐには発動しないと、前述しましたが、「散歩中の犬のフン」は、すぐに悪い報いが帰ってきます。
基本的に、犬のフンを嫌がる人はとても多いので、誰かが綺麗に掃除してくれている事が多いです。
早ければ、犬のフンを放置したその日に、誰かが掃除してくれているかもしれません。
その為、即効で運気が低迷します。
犬のフンを放置したら、周りの人はとても迷惑ですよね。
その迷惑はすぐに、自分の元にカルマとなって返ってきます。
犬のフンというのは、一例ですが、他にも似たような事はいっぱいあるはずです。
悪い事が続いて、なかなかトンネルから抜けられないという人は、どんなに頑張ってカルマを消化したとしても、裏で悪い行いをしていれば当然のことと言えます。
ザルで水をすくっているようなものです。
こんな人生はまっぴらごめんですね。
ですから、ずっ~と運気が低迷している人は、「因果応報」を疑ってみるべきです。
周りの人に迷惑をかけるような行為は、慎むべきです。
仮に今、普通に暮らせていても、突然何の前触れもなく、悪い報いが訪れるという事もあります。
因果応報は、前世とも深く関わっている
悪い事が続くのは、カルマ以外にも理由がある
「因果応報」というのは、恐ろしいですね。
何の前触れもなく、悪い事が突然自分の身に起こりだすのですから。
しかし、不運が続いたからと言って、それが全て「カルマ」のせいだとは限りません。
実は、「カルマ」以外にも、不運が続く理由はあります。
それが、あなたの「願望」です。
「お金持ちになりたい」と強く願ったとしても、あなたの身にはマイナスの事がよく起こるようになります
(興味のある人は『強く願うと逆のことが起こる 潜在意識の真実に迫る』を参照して下さい。)
ですから、悪い事が続くというのは、二つの理由が考えられるわけです。
過去に行った自身の悪い言動。
強い願望を持つ。
「過去に行った自身の悪い言動」というのは、ある意味自業自得ですから、誰を責めることもできないですね。
長い目で見ると、必ず「しっぺ返し」がくるという事です。
例えば、小学校の時にいじめをする側の人が、中学校や高校では逆にいじめられる側になっているということはよくあるらしいです。
「カルマ」というのは、今世だけの話ではなく、実は前世の事も深く関わってきます。
前世のことも深く関わっているだけに、
うさん臭さを感じたり、
謎が多かったり、
生い立ちに疑問を感じたり
色々と不思議な点や解明できていない点があるので、100%理解することは難しいことかもしれません。
天国と地獄は本当にあるのか
「因果応報」というのは、前世とも深く関わっていると書きました。
前世だけではなく、来世とも密接な関係があります。
ですから、今世だけで解説できるものではありません。
今世において、悪い行いをいっぱいしたにも関わらず、「因果応報」がない場合も多々あります。
人間社会というのは、完璧ではないのですから、ある意味「因果応報」が完璧に投影されないのも自然なことなのかもしれません。
罪のない人を殺したにも関わらず、10年20年で刑務所から出てきてしまったら、どうでしょうか。
本当に、罪を償ったことになるのでしょうか。
10年20年で刑期を終えて、刑務所から出てこられるのですから、人間の命は軽く見られているのかもしれません。
凶悪な事件で、あきらかに刑が軽いと思われる場合は、その「因果応報」はどこで発動するのでしょうか。
今世の人間界では、「因果応報」は発動しなかったかもしれまんが、実はそこで終わりではありません。
カルマを消化しきれなかった分は、来世に持ち越されてしまうのです。
来世に持ち越されてしまった部分の大半は、俗に言う「宿命」というものに「因果応報」が転化されてしまうのです。
ですから、あの世に「天国」や「地獄」があるというのは、本当です。
今世であまりにも酷いことをした人達は、「地獄」行きということもあり得ます。
逆に、今世であまりにも悲惨な思いをした人達は、「天国」行きという可能性も十分にあり得ます。
罪のない人を殺したら「地獄」に行き、罪がないのに殺されてしまったら「天国」に行くというのが、「因果応報」の世界になるのです。
ですから、一見不公平に見える世の中ですが、あの世のことまで見ると、きちんとバランスが取れているということが言えます。
因果応報には波動が影響している
家庭にも国にも地球にも「波動」がある
「因果応報」について、100%理解することは難しいかもしれません。
まだまだ謎の部分が多いですね。
例えば、世界中では、地震や台風や津波などの被害で、多くの方が亡くなるケースがたくさんあります。
場合によっては、何十万人もの命が奪われることもあります。
2004年には、スマトラ島沖地震で約22万人以上の尊い命が奪われています。
こんな場合、22万人の人達が全て、
悪い行いをしていたのか?
強い願望を持っていたのか?
という疑問が湧きますよね。
その謎を解くには、もう少し奥の深い話をしなければなりません。
物事をもっと大局的に見なければ、本質を捉えることができません。
あなたは、「波動」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。
きっと、一度くらいは、どこかで聞いたことがあると思います。
例えば、家の中でいつもケンカばかりしている夫婦や兄弟や親子がいる場合、その家の中の波動は、低くなってしまいます。
その為、悪い事が良く起こるようになります。
泥棒に入られたり、病気になったり、いつもイライラしたり・・・といったようなマイナスの事が起こるようになります。
それは、家庭というとても小さなミクロで見た場合の話です。
もう少し大局的に見ると、国というレベルでも波動があります。
争い事の少ない国は、波動が高いので、災難の頻度も少ないですが、争い事の多い国や精神的波動の低い国では、やはり災難もよく起こるようになります。
そして、もっともっとマクロ的に見ると、地球という星にも波動というものが存在しているのです。
「因果応報」はマクロの影響も受けてしまう
家庭というミクロで見た場合の波動。
地球というマクロで見た場合の波動。
地球という星にも、波動があるというのは、あまり聞かないかもしれませんね。
意外に思われるかもしれませんが、地球自体の波動というのは、宇宙全体から見たら低い部類に入ってしまいます。
それもそのはずですね。
世界のあちこちでは、紛争が絶えないです。
テロのニュースもテレビで頻繁に見ますね。
人と人が殺し合う世界って、豊かな星だと思いますか?
1939年~1945年には、第ニ次世界大戦という戦争があって、何千万人もの尊い命が奪われています。
大昔の話ではありませんね。
まだ、わずか70年前の出来事です。
ですから、地球という星は、波動が低いのです。
波動が低いとどうなるのか?
世界のあちこちで、災害が起こるようになります。
地震、台風、津波・・・などなど。
このような災害で亡くなられた方は、「悪い行い」をした報いで亡くなったわけではないので、来世では今よりも幸せに暮らすことができます。
地球という星の波動の低さが影響となって、命が奪われるということもあるのです。
この場合は、マクロ要因が大きいので、個人的なカルマはあまり関係ありません。
今世という話だけに限れば、「因果応報」というのはつじつまが合わない事だらけかもしれませんが、来世ということも含めて話をすれば、きちんとバランスが取られているわけです。
ちなみにですが、世界一災害の少ない国は、中東にある「カタール」という国です。
災害が少ないというだけではなく、お金持ちの国としても有名です。
石油や天然ガスの埋蔵量が豊富な為、所得税はありませんし、電気などの光熱費も無料ですし、病院での医療費も無料ですし、大学などの学費も無料で入れてしまいます。
まさに、天国ですね。
最速で暗いトンネルから抜け出すには?
「因果応報」については、「前世」や「来世」も関係していると書きました。
「前世」や「来世」が関係しているのであれば、「輪廻転生」という話も深く関わってきますね。
「輪廻転生」があるのであれば、人間には「魂」があるということも想像がつくことかと思います。
運が悪い人にとっては、なんとなく「因果応報」って気になりますよね。
「自分の運が悪いのは、カルマのせいなのではないか」って思っても不思議ではありませんね。
もし「因果応報」が気になるのであれば、
「他人が嫌がることはしない」という生き方をするべきです。
もしかしたら、知らず知らずのうちに他人に迷惑をかけている場合もあります。
悪い事が続いたとしても、それがずっと続くことはありません。
ずっと運気が停滞してしまう理由は、ずっと「カルマ」から逃げているからです。
今、あなたに降り注いでいる災難は、もしかしたらどこかで背負ったカルマのせいなのかもしれません。
ですから、「カルマ」から逃げるのではなく、「カルマを消化」してしまうことです。
そうすれば、「カルマを消化」した時点で、運気は飛躍的にアップしていきます。
また、嫌々受け入れるのではなく、喜んで受け入れる姿勢でいれば、どんなに暗いトンネルにいたとしても、今いる状況から最速で抜け出すことができます。
悪い事をした人が、たまたま今世で罰がなかったとしても、来世ではきちんとそのツケを払わされるようになっています。
「因果応報」というのは、
即現実に現れる場合もあれば、
数日で現れる場合もあれば、
10、20年後に現れる場合もあれば、
来世まで持ち越される場合もあります。
このようにして、「因果応報」の発動する時期がまちまちな為、信じることができないという人がいるのも自然ですね。
「因果応報」について、少しでも参考になれば幸いです。
最後までお読み頂き、有難うございます。
2021/10/20