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お勧めの本 本田宗一郎 夢を力に

 

本田宗一郎 夢を力に

二輪車販売台数は、世界一!

本田宗一郎とは?

本田技研工業の創業者です。

自動車メーカーの「ホンダ」と言えば、誰もが知っていることでしょう。

今や売上高は約14兆円にものぼります。

しかも、一代でこの会社を大きくしました。

二輪車の販売台数と売上高ともに、世界一です。

自動車は後発ながらも、販売台数は世界7位になります。

日本においても、後発ながら日産を抜いて、トヨタに次いで第2位の販売台数となっています。

どうしてこのように大成功したのか?

この著書の中に答えが書いてあるとすれば、それは

「好きなことに没頭する」

ということに尽きるのかもしれません。

人間、好きなことであれば、どんな苦労も厭わずに頑張ることができます。

よく、成功法則の本には、「好きなことを仕事にすれば成功する」と書かれていることが多いです。

本田宗一郎氏は、まさにその典型的な例かもしれません。

あなたの好きなことは何ですか?

この質問に即座に答えられる人は、とても幸せな人かもしれません。

多くの人は、嫌々会社に行き、好きでもないことを毎日やらされます。

給料を貰う為に、しかたがなく仕事をしている人も多いです。

そんな中、夢と希望を与えてくれるのが「本田宗一郎 夢を力に」です。

もし今、あなたが毎日の生活に行き詰っているのであれば、一代で世界有数の自動車メーカーに育てた「本田宗一郎氏」の考え方や生き方は参考になるかもしれません。

時には辛抱することも必要である

「好きな事に没頭」

そういう人生って、羨ましいですね。

しかも、富と名声まで手に入れられるのですから、これほど素晴らしい人生はないかもしれません。

しかし、世の中には、そもそも「好きな事」がなんなのかわからない人もいます。

また、「やりたい事がない」という人もいるかもしれません。

そんな時は、ひたすら「目の前のことに没頭する」ということが大事なことなのかもしれません。

本田宗一郎氏は、すぐにやりたい仕事に就けたわけではありません。

静岡県に生まれて、父親は鍛冶屋をしていました。

幼い頃から機械いじりとエンジンには興味を持っていました。

そして、16歳で、東京にて自動車修理工場で働くこととなりました。

一人東京にて、働くのは寂しかっただろうと思いますが、機械いじりが楽しくて、そんな寂しい気持に浸っている暇はなかったようです。

夢と希望を持って東京に出てきたものの、現実は思い描いたものとは、全く違っていました。

自動車の修理をさせてもらうどころか、毎日毎日主人の赤ん坊の子守りをさらせられました。

来る日も来る日も、赤ん坊の子守りをさせられて、何度も辞めようと思ったそうです。

しかし、半年ほど歯を食いしばって頑張っていると、自動車修理をさせてもらうことができました。

『ある日「小僧、きょうは忙しくてしょうがないから、こっちへ来て手伝え」という主人の声がした。私は夢ではないかと自分の耳を疑った。うれしかった。大雪の降った寒い日だったが、私は寒さも忘れ、無我夢中でポタポタしずくの垂れる自動車の下にござを敷いてもぐり込んだ。』

何事をやるにしても、やはりすんなりとは、やりたい事をやらせてはもらえないようです。

本田宗一郎氏も、約半年間は、やりたい事は全く出来ず、毎日赤ん坊の子守りをさせられました。

もし、途中で嫌気がさして、やめてしまったら、もしかしたら今の「ホンダ」はなかったかもしれません。

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絶体絶命のピンチをどうやって切り抜けるか

とことん仕事をして、とことん遊ぶ

本田宗一郎氏は、自動車修理工場の丁稚奉公を約6年間続けました。

その後は、主人から自動車修理の腕前が認められ、静岡に帰って、支店を出させてもらうまでに成長しました。

この時はまだ、22歳の若さです。

支店とはいっても、本田宗一郎氏と小僧一人のたった二人しかいませんでした。

22歳の若さで、お店の店主ですから、世間からはあまり信用してもらえなくて、開店から暫くの間は、ほとんど仕事がありませんでした。

しかし、本田宗一郎氏の自動車修理の腕前が評判になり、仕事はどんどん増えていき、工場も拡張していきました。

25歳の時にはすでに50人以上の工員を雇うまでになりました。

儲かったお金のほとんどは遊びに使ったそうです。

『若さと金にものをいわせて芸者を買っては飲めや歌えの大騒ぎをしたり、芸者連中を連れて方々を遊びまわった。~略。25、6歳のころには私は自家用車-そのころはお屋敷車といっていた。もちろん外国製-を二台持っていた。その車に芸者を乗せてはよく遊びに出かけたものである。』

25歳の時にはもう、かなり成功されていたようなので、毎日豪遊していたようです。

仕事も好きなことに没頭しているなら、遊びもとことん好きなことに興じて、本当に24時間好きなことをして生きていたのは、羨ましい限りです。

しかし、この3年後の28歳には自動車修理工場を閉鎖することになりました。

自分の店で働く工員達がどんどん独立していき、自分の店の商売敵となっていったからです。

それを本田宗一郎氏は嫌い、また別な仕事をすることになります。

こういった決断はなかなかできることではないですね。

決断はしたものの、その後絶体絶命のピンチに追い込まれます。

好きな事であれば、ピンチも乗り越えられる

本田宗一郎氏は修理工場を閉鎖した後、ピストンリング製造の会社を立ち上げることになりました。

しかし、次のように本田宗一郎氏は言っています。

『だが、転換してみたもののピストンリングの製造は考えていたほど簡単にはいかなかった。しかたがないので鋳物屋のおやじに聞きに行くと「途中からやろうたって、そんな簡単にできるわけがない。やっぱり年期奉公しなければ・・・」と剣もほろろの返事、作れるもの、売れるものと思って、すでに機械は金をかけて据えつけて、工員も五十人くらいかかえているのだから、どうしても成功させなくてはならなかった。』

毎日、夜中の二時三時まで、研究に取り組みましたが、なかなか前に進むことができませんでした。

そのうち、お金も尽きてきて、妻の物まで質屋に運ぶハメになってしまいました。

絶体絶命のピンチが訪れました。

しかし、なかなか思うようにいかないのは、鋳物の基礎知識が欠けているためだと気づき、静岡大学工学部で勉強することになりました。

人間、一から勉強することは、なかなかできる事ではありません。

しかも、一度お金に恵まれて、不自由なく暮らしていたのに、突然勉強一筋に変わっていったのですから、やはりモノづくりにかける情熱はただものではありませんね。

これだけ、情熱が注げるのも、モノづくりが好きだからこそなのかもしれません。

「好きなこと」であれば、どんな苦労でも乗り越えられることを、本田宗一郎氏は証明してくれています。

そもそも嫌な仕事をしているから、ちょっとした試練でつまずいてしまう人はとても多いです。

一から物事を始めるというのは、とんでもない苦労が付きまといます。

しかし、その苦労は、大きな成功への対価だと思えば、どんな試練にも耐えられるのではないでしょうか。

苦労が多ければ多いほど、喜びもひとしおです。

リスクなしで成功しようと思っても、それは虫が良すぎる話なのかもしれません。

ですから、あなたにもピンチが訪れた時には、「好きな」ことにチャレンジしてみてはどうでしょうか。

そうすることで、現状を打破できる精神力が養われるのかもしれません。

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またもや新事業で大成功

モーターバイクが大当たり!

本田宗一郎氏の生き方は、誰もが憧れるかもしれません。

よく働き、よく遊ぶ。

そして、好きなことをして、富と名声を手に入れ。

飽きてきたら次の商売に衣替えして。

本田宗一郎氏は、1945年の終戦をきっかけに、また違う仕事をするようになりました。

その時、すでに39歳です。

また一から、新たな商売をするのは大変だろうと思いましたが、本田宗一郎氏は1年間尺八を吹いて、遊び暮らしていたそうです。

トヨタからは、トヨタの部品を作らないかという提案があったにも関わらずです。

『戦時中だったから小じゅうと的なトヨタの言うことを聞いていたが、戦争が終わったのだからこんどは自分の個性をのばした好き勝手なことをやりたいと思ったからである。』

と著書には書かれています。

本当に、「好きなことをする」ということには徹底しています。

しばらく遊んだ後、織物機械をつくることになりました。

しかし、あまりお金にはならないので、今度はモーターバイクを作ることになりました。

自転車に、軍が使用していた通信機の小型エンジンをつけて走らせました。

『タクシー会社をやっていた友人が、たまたま知人から預かっていた旧陸軍の六号無線機発電用エンジン。これを見た本田の頭に、アイデアがたちまちひらめく。この出逢いが、彼の向かう将来を決め、後のホンダを生むことになる決定的瞬間だった。』

自転車に補助エンジンをつけて事業を開始したのが、今の本田技研工業になります。

そして、モーターバイクが大当たりとなります。

この時期の交通機関は混乱状態で、汽車もバスもその混雑ぶりは相当なものだったようなので、飛ぶように売れました。

わずか6年で、二輪車の販売台数が国内トップに

自転車に補助エンジンをつけたモーターバイクが大当たりしてから4年後の43歳には、

『自転車にエンジンをつけたバイクではスピードもおそいし耐久力もない。どうしても強力なフレームを持った強い馬力のオートバイを作りたいと考えた。』

と著書には書かれています。

これが本田技研工業のバイク製造の始まりです。

43歳からの新たな挑戦って、年齢的にも遅いような気もしますが、オートバイの販売もうなぎのぼりに拡大していくことになります。

そのわずか5年後には、株式店頭公開を果たしています。

さらにその1年後の49歳には、二輪車の販売台数が国内トップとなります。

そして、その2年後には東京証券取引所に上場することになりました。

どうして、こんなに早く成功されたのでしょうか。

もちろん、絶え間ない努力はあっただろうとは思います。

しかし、努力以外にも、強運であったことは確かです。

やることなすこと全て成功するのですから、強運としか言えないですね。

色々な商売をしてきました。

自動車修理から始まり、

ピストンリング製造、

織物機械、

モーターバイク

オートバイ

自動車

やること成す事、ほとんどが成功しています。

将来を見通す力があったのは確かですが、そこに強運という不確かな要素も味方につけたからこそ、大成功したのだと思います。

「好きなことに没頭する」

というのが本田宗一郎氏の一番の成功哲学であり、強運を引き寄せる最高の生き方だったのだと思います。

また、やりたい事や好きなことがない時には、焦らず「ゆっくり休む」ということも実践されています。

メリハリのある人生が強運を引き寄せる最大の要因なのかもしれません。

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人間関係が一番大事であるという考え方

足りない部分は、助けてもらえばいい

「好きな事に没頭する」といのが、本田宗一郎氏の生き方なのかもしれません。

しかし、本田宗一郎氏にとって、一番大事な考え方というのは、「好きな事に没頭する」ということではないです。

「私は、こういう時代には良好な人間関係がいちばん大切な条件だと思います。人間関係さえうまくいっていれば、どんな知識や情報でも入ってくるものです。」

と著書には書かれています。

人間関係が一番大事であるという考え方は、意外に思う方も多いかもしれません。

人を大切にするということは、周りからの手助けが得られやすくなるというものです。

実際、ホンダは、何度か金銭的に厳しい局面を経験しています。

その都度、周りの人に助けられ、窮地を凌いできた経緯があります。

どんな会社やどんな人間でも、必ずやピンチや試練というものが、訪れるものです。

そこを乗り越えるのに、一人の力では難しい場合もあります。

また、一人の力では、挫折してしまうことも多いです。

そんな時、助けてくれる人がいれば、一人の時よりもやる気や勇気や希望が出てくるというものです。

その本田宗一郎氏の影に隠れて、活躍していたのが、藤澤武夫氏という人物です。

本田宗一郎氏は、モノづくりに没頭できたのも、販売やお金の工面に奔走してくれた藤澤武夫氏がいたからこそです。

両者が得意分野に特化して、働いてきたからこそ、今のホンダがあるのかもしれません。

ですから、自分に足りないものは、気にする必要がないのかもしれません。

自分に足りない部分は、誰かの力を借りる勇気があってもいいかもしれません。

人の一生の時間は限られています。

そんな限られた時間の中で、全て自分でやろうとすると、身も心も疲弊してしまうのかもしれません。

「好きな事に没頭」できたのも、本田宗一郎氏を支えていた人物がいたからこそです。

だからこそ、人間関係が一番大事であると、本田宗一郎氏は悟ったのかもしれません。

周りの人に迷惑になるから「社葬をしてはいけない」

『私はずいぶん無鉄砲な生き方をしてきたが、私がやった仕事で本当に成功したものは、全体のわずか一%にすぎないということも言っておきたい。九九%は失敗の連続であった。そしてその実を結んだ一%の成功が現在の私である。その失敗の陰に、迷惑をかけた人たちのことを、私は決して忘却しないだろう。』

と著書には書かれています。

どんなに失敗しても、飽きずに続けてこられたのは、やはり、仕事が好きだったからだと思います。

そして、ただ好きな事に没頭するのではなく、きちんと周りにも迷惑をかけていたという自覚があったということです。

この自覚がないと、ただのわがままになってしまいます。

好きなことを続けていくには、周りの人の協力がどうしても不可欠になってきます。

本田宗一郎氏には「社葬をしてはならない」という考え方があります。

『社葬なんかすれば交通渋滞の原因になり、世間に迷惑がかかる。そんなことはクルマ屋として絶対にやってはならない』

と著書では述べています。

ただ単に好きなことに没頭していたのではなく、きちんと他人のことにも目配りできているところが本田宗一郎氏の凄いところなのかもしれません。

自分の好きなことに没頭してしまうと、周りが全く見えなくなってしまう人も少なからずいます。

後世に残るようなりっぱな業績を残したにも関わらず、「社葬してはいけない」という考え方は、人間としての潔さが現れています。

好きなことに専念する。

という生き方は、誰もが憧れるものです。

それを可能にできるのも、やはり運の強さだと思います。

本田宗一郎氏の運の強さは、周りの人に対する優しさなのかもしれません。

ただ好きなことに没頭して、周りの人に迷惑をかけてしまうと、やはり成功することはできないのかもしれません。

最後までお読み頂き、有難うございます。

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      2021/04/14

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